うしごや

接客業での人間関係に揉まれながら、うつ病の家族を反面教師に「上手に生きる術」と「うつにならない考え方」をお伝えしていきます!

間違い多数??【情けは人の為ならず】本来の意味と究極の自己解釈

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こんばんは、うしぞうです!

 

今日は私の座右の銘であり、人が生きるうえで最も大切な教えも含まれていることわざについての記事です!

 

 

 

「情けは人の為ならず」

 

まず、こちらのことわざの正しい意味は以下の通りです。

 

人に親切にすればその相手のためになるだけでなく、やがては良い報いとなって自分に戻ってくる。

 

人に親切にした、その時点で親切にされた人は嬉しいですよね。

もしかしたら、親切にされたお礼を直接その人から受け取るかもしれません。

 

品物をプレゼントされるかもしれませんし、自分が困ったときに今度はその人が助けてくれるような「気持ち」のお返しかもしれません。

 

はたまた、他人に親切にしている様子を見ていた周りの人が、あなたのおこないに感心してくれるかもしれません。

 

例えば、もしそれが仕事の上司だったら、自分に対する評価が上がることは充分な見返りとなりえますよね。

 

出世や昇給に直接響くことだってありえます。

 

つまり簡単に言ってしまうと、人に優しくすれば自分にもきっと良いことあるよ!ということですね。

 

ところで、なぜわざわざ本来の意味を確認したと思いますか?

それはこのことわざが。よく誤用されるものだからです。

 

間違った意味

 

「情けは人の為ならず」を「ことわざ」として認識せずに、ただの文章として理解してしまう

 

情け(をかけること)は(その)人の為ならず

 

つまり、その人のためにならないので情けをかけてはいけないと受け取ってしまう場合があるんですよね。

 

まだことわざという概念の知識がないような、子供時代に間違って覚えてしまうとそれっきりになってしまうのかもしれません。

 

ややこしいので、大人の方でも誤用される場面も見受けられます。

 

人の情けを受けるべからず 

 

もしも、「情けは人の為ならず」を自分のための意味合いに変えるとするとこんな感じですね。

 

 この場合では、情けを受ける側が主観となるので

 

人の情けを(受けることは自分の為にならないから)受けるべからず

 

という自分へ戒めのような言葉に変化するからです。

そもそも、ことわざとは自分の為に使うものではないでしょうか?

 

ことざわを使うメリットとは

 

  • 場面に応じたものを使うことで状況を整理する
  • ことわざを使うことによって人としての品格を魅せる

 

くらいかと思います。

前者ならば、状況整理ということで直接的に自分の役に立っています。

 

後者も、周囲から感心され尊敬されれば、他者からの自分自身への評価が上がるというメリットに繋がりますよね。

 

つまり、ことわざの存在、用途そのものが自分のためであるので、その内容が相手のために向けた意味合いだということは、基本的にはないんです。

 

 

心理的に考えると?

 

「情けは人の為ならず」の正しい意味と間違った意味を整理したうえで、人間の心理的な面でも考えていきます。

 

そうすると人間の本質的に、情けをかけるという行為自体が、自分のためである場合がほとんどです。

 

情け=自己満足=欲求

 

まず人間は何かのきっかけがあって、相手に対して「情けをかけたい」という気持ちを持ちますよね。

 

そして、それを相手に実行するということ、つまり相手に情けをかけるということは、自分自身の欲求を相手で発散しているとも表現することができます。

 

相手が望んでいようがいまいが、こちらの感情で情けをかけたい気持ちになってかけるというのは、結局は自己満足であり、自分の欲求なんです。

 

 自己顕示欲と承認欲求

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道端で泣いている子供がいます。

大体の方は、情けで話しかけるんじゃないでしょうか、「どうしたの?」と。

 

満員電車で席に座っていると目の前にご老人がやってきました。

こちらも多くの方は、情けで席を譲りますよね。

 

自己顕示欲承認欲求という言葉もあります。

 

簡単に言うと、自分から何かをして自分をアピールしたり、認めてほしいと思う欲求のことですね。

 

相手のことを思った「純粋な善意の情け」だとしても、結局自分は子供や老人のことがが気になってしまって、解決しなければ自分の気が済まないから声をかけるのです。

 

極端な話、ボランティアの慈善活動も、人のためを思っての活動ですが、別に絶対にやらなければいけないことではないんです。

 

つまり、やりたい人がやってるだけであって、自分の意図や思惑、動機などは一切関係なく「そうしたい」という気持ちは自分自身の欲求なんです。

 

こう考えると

 

情け(をかけたい気持ち)は(自己満足なので他)人の為ならず(、自分の為)

 

と誤用とはまた違った、文字通りの解釈もできると思いませんか?

 

人間は勝手な生き物

 

もしも、自分が望んでいる情けを人から受けたら当然嬉しいと思います。

 

しかし、自分が望んでいない情けを受けたり、過剰な優しさを感じたらそれには別の呼び方があります。

 

「お節介」です。

 

電車でお爺さんに席を譲ろうとしたら、「老人扱いするな!」と言われたなんて話を聞いたことありませんか?

 

こちらは極端な例であって、優しさに対して怒りを向けて来る人は必ず少数派です。

しかし、一部存在することも事実です。

 

人間とはとても都合が良いもので、優しさを与える側に善意があったとしても、受ける側の気持ち次第で嬉しくなったり疎ましく感じたりするわけです。

 

自己満足は必要なこと

 

自分のために行動するということは、全く悪いことではありません

 

自分が満たされていないのに、他人に情けをかけられるでしょうか?

かけようとすら思わないんじゃないでしょうか?

 

自分が不幸なのに、他人に幸せを分けられるでしょうか?

 

自分勝手と自分本位

 

もしも、自分が満たされていないときに周りに困っている人がいても、自分のことで精一杯な自分はその人に気付くことすらありません。

 

気付いたとしても、自分に余裕がなければ見て見ぬふりをするかもしれません。

それは、他人を無視した「自分勝手」です。

  

しかし、自分に余裕があるときは、自分からそれを周りに分け与えることができます。

「情け」という形でです。

 

見返りを求める情けだって立派なものです。やらない善よりやる偽善

でも、自分を削ってまで余裕を分け与えてはいけません

 

他人を思いやりながらも「自分本位」に、あくまで自分を大切にしていきましょう。

 

 まとめ

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人間の重要視する心理であり、人間の真理でもあるのですが、どんな事象に対してもまずは「自分」があってこそです。

 

自己犠牲の精神は美談とも捉えられますが、私はそうは思いません。

 

大切な人のために自分が辛い目に遭うということは、その大切な人の気持ちを無視している場合もありますよね。

 

人間の心や気持ちに正解などはありません

 

しかし、自分の行動の良し悪しを相手の気持ち次第で決められてしまうのならば、最初から堂々と自分本位で自分のために相手に情けをかけることが賢いと言えるのではないでしょうか。

 

原点回帰

 

ここで「情けは人の為ならず」の本来の意味へと繋がります。

あくまで自分のことを最優先で、重要視して他人に情けをかけてみてください。

 

自分にも余裕が生まれます

 

情けをかけた結果、相手がどのような反応をするかは分かりません。

もしかしたら万が一、お節介だと怒られる可能性だってありえます。

 

でも、もし素直に喜んでもらえたら?お礼を言ってもらえたら?

自分も相手も最高に幸せですよね。

 

真に相手のためを思うならば、まずは自分を大切にすることから始めましょう!

ありがとうございました(^^)