こんにちは、うしぞうです!
4月は出会いの季節ですよね。私の職場にも新人さんが何人かいらっしゃいました。
生活面でも少し変化があり、新たな知り合いもできました。
そして先日、Twitterを始めました・・・
良かったらフォローとかリツイートとかお願いします(笑)
さて、この3つに共通することは「出会い」です。
仲の良い後輩、知人や友人が出来たら当然嬉しいですし、人とコミニュケーションを取ること自体は好きです。
しかし上手くいかない。何故か?それは 私がコミュ障だからです。
コミュ障とは?
まず、コミニュケーション障害とコミュ障は全くの別物です。
コミュ障とは、単にコミニュケーションが苦手な人を指す言葉です。
しかし「コミニュケーション障害」とは、聴覚器官や発声器官が不十分であるという身体障がいなどで他人とのコミニュケーションを取れない状況も含みます。
そのような方に「コミュ障」という表現は使いませんよね?
私の言う「コミュ障」は前半部分の「コミニュケーションが苦手な人」という意味合いです。
人見知りとは?
コミュ障と同じようなニュアンスで「人見知り」という言葉もありますよね。
人見知りとは、子供が知らない人に対して恥ずかしがったり嫌がったり、警戒した反応を示すことです。
こちらもよく、本来の意味と用途を誤認されている言葉ではないでしょうか?
最近ではコミニュケーションが苦手な大人を人見知りと呼んだり、自称することも多いかと思います。
コミュ障と人見知りの違い
2つの言葉の意味をしっかりと把握した上で考えていきましょう。
まずは人見知りからです。
人見知りの特徴
こちらは本来、子供に向けた意味合いを大人にそのまま流用している場合が多く、要するに、「知らない人を警戒する」「初対面の人に緊張する」ということですね。
とどのつまり、「最初だけ」なんです。
もしかしたら見た目が怖くて警戒したのかもしれませんし、雰囲気が苦手だったのかもしれません。
はたまた、相手が容姿が優れていたため緊張してしまったのかもしれません。
- 見た目や雰囲気が苦手で、怖かったから委縮していた。
- 異性に好意的に思われたいから、大人しく見えるよう猫をかぶっていた。
どちらも出会いたてでの心情、立ち振る舞いです。
ということは純粋な人見知りであるならば、慣れてしまえばこっちのもの。
きっかけは必要かもしれませんが、打ち解けるのは時間の問題です。
コミュ障の特徴
自称、純粋なコミュ障である私は人見知りはしません。
初対面であろうと、犯罪の匂いでもしない限り、性別、年齢、人種、分け隔てなく接する自信があります。
人見知りと違って「最初は大丈夫」。
ではどこに問題があるかというと「その後」なんですね。
コミュ障の実体験
冒頭に書いた、「職場での出会い」を例にしていきます。
私の職場で、私の所属する部署には2人、新たに後輩となる新人社員がやってきました。
この2人自体は元気いっぱいの若者なのですが、私の同僚は意外と人見知りが多いです。
そして私はコミュ障。この場合、人間関係はどのように発展していくのか?
配属初日
(最近の若者にしては元気に挨拶をしてくれるな、感心感心)
私からした最初の印象はこんな感じでした。
しかし、同僚は私に愚痴をこぼします。
「最近の学生ってパソコン使えないとか聞いたけど大丈夫かよ?」
私はなだめるわけですが、この時点で同僚は一種の人見知りなんですよね。
初対面の新入社員に警戒し、大げさに言えば嫌っていますので。
2日目
私は特に新入社員を気にかけていたわけでは無いのですが、彼らに対して初対面からあくまで「普通」に接するので上司からは教育係を命じられてしまいました。
愚痴っていた同僚は案の定、あまり関わらずそっけない感じでしたね。
3日目
うし「ここをこうしてこうすんだよ~」新「はい!あ、こっちは・・・?」
うし「これはね~こんな風に・・・」新「ありがとうございます!」
新入社員に人見知りをしなかった私の教育係はいたって順調です。
新「うしぞうさんは、何か趣味とかあるんですか?」
うし「(最近ブログにハマってるけど見せてって言われたらヤダな、)無いかな~?」
新「そうですか」うし「うん」
新「・・・」うし「・・・」
なんだか雲行きが怪しくなってきましたね(笑)
1週間後
新「うしぞうさん!同僚さんと飲み行くんですけど行きますか?」
あれ?同僚よ、お前いつの間に新入社員と仲良くなってんだ?
我ながらこの話はコミュ障と人見知りの違いが非常に分かりやすい例だと思います。
書いてて惨めになってきますが・・・(笑)
コミュ障の難点
コミュ障といっても原因は様々あると思いますが、一番の要因は他人からの評価を気にし過ぎている点ではないでしょうか。
実体験での私は趣味を聞かれましたが、余計なことを考えてしまい、回答をうやむやにしてしまいました。
そしてその後も些細なことでも何でも話題はたくさんあるのですが終始無言でした。
つまり相手の目、相手からの評価を気にして回答を選んでいるうちに一番楽で無難な答えを、最終的にはノーアクションという選択をしてしまったというわけです。
- 相手に良く思われなくてはダメ
- 失敗したり間違っちゃいけない
- 変に言ったら嫌われる
という恐怖が会話の柔軟性を阻害して、コミニュケーションを取るにあたって障害となってしまっているのです。
恐らくそういった方は、自分に自信が無かったり、他人と比べて劣等感やコンプレックスがあったり、ネガティブな思考の場合が多いのではないでしょうか。
「性格」がコミュ障
一番大きな要因としては「気にし過ぎ」なのですが、人間には「自己完結型」という性格もあります。
以前、こちらにまとめましたが、自己完結型人間は、そもそもコミニュケーションを必要ないと自分の中で結論づけてしまっている場合があるんです。
同じく今回の例ですと、職場の後輩に仕事を教える会話は必要だったけど特に彼ら自体に興味が無かったのでプライベートの会話を遮ってしまったわけです。
前述したネガティブさも持ち合わせているので「自分と話しても楽しくないだろうな」で完結してしまったんですね。
ごめんなさい!後輩さんたち!(笑)
違いのまとめ
コミュ障と人見知りの違いは、いわば自分からの相手を見ている場所が違うといったところでしょうか。
人見知りの方は、相手の顔や姿形から雰囲気を読み取って感覚的に判断し、警戒したり緊張するのだと思います。
しかしコミュ障は、相手の顔なんて見てないんですよね。いきなり内面、脳みそを見ているようなものです。
思考ばかり読み取ろうとして論理的に会話をしようとしてしまうので話題につまづく。
あくまで例えでしたが、実際に「脳みそ」を見せられたところで何を話していいかなんて分からず困惑しますもんね(笑)
もし直したいと思うのなら
私の考える、コミュ障の原因は「考え過ぎ」「気にし過ぎ」です。
しかし、考え過ぎてしまう人間が直したいと思っても、またそれについて考え過ぎてしまいます。
永久機関の完成です。無限ループって怖いですね(笑)
では、どうするか?
世の中には考え過ぎてコミュ障になってしまう人もいれば、当然逆もいます。
こちらのコミュ障などものともせず、感性豊かに接してくれる知人を作ることです。
論理ではなく、感性の話なのでうまく説明はできませんが、もし常に笑顔で明るく振る舞っている人と付き合っていけば、自分も余計なことは考えずに笑顔になれるはずです!
ありがとうございました(^^)