うしごや ~さとり男子の考察牧場~

現実世界でのストレスを糧に、好き放題白黒ハッキリした映画レビューをしていきます(笑)感想&妄想寄りの考察(゜-゜)?他雑記!

【責任】って負う?担う?まさか【背負って】いませんよね?

責任感

こんばんは、うしぞうです!

生きているとどんな事柄においても自然と発生してしまう「責任」

 

責任・・・取ってよね(照)

 

は?

 

意味は、自分の立場として当然負わなければいけない任務や義務のことです。

責任を負う人を「責任者」、そして責任に対する認識の高さを「責任感」と呼びます。

 

特に仕事に関しては責任という言葉が重要ではないでしょうか?

皆さんは普段から、どれほどの責任を課されて生きていますか?

 

責任の発生

 

一般的には、自分の社会的地位が上がれば上がるほど責任は増していきます

 

  • 店長ならば店舗内、従業員の行動に対する責任
  • マネージャーならば従業員を含めた店長たちもの責任
  • 社長ならば運営するすべての管轄内で起こった責任

 

単純に、課長、部長、社長のように、役職で考えると分かりやすいですね。

社会に限らず、「人として」や道徳的な責任もありますよね。

 

  • 自分の言ったことに対しての責任
  • 親の、子供の行為に対する責任

 

バイトテロ

バカッター

最近の造語で「バイトテロ」というものがあります。

主に、アルバイトなどの非正規労働者による飲食店や小売店での悪質行為を示します。

 

  • 飲食店において、食材を不衛生に扱ったうえでの調理
  • 小売店での商品の乱用、不適切な悪ふざけ

 

当人たちは面白がってインターネットやSNS上に写真や動画を投稿しますが、これは非正規労働者が「無責任」だから発生する事態ですね。

 

厳密にはバイトテロをおこなった本人たちも、動画をインターネットで拡散されたり報道ニュースに取り上げられることで個人としての責任を負い、社会的信用は失います

 

そこまで先を見据えて行動できない、愚かな行為であることは確かです。

そして当然、企業としての責任は店舗や会社が負うことになります。

 

「下」の責任を負う者がいなければ、秩序(モラル、善悪)が崩壊してしまうため、「上」が責任を取るしかなくなってしまいます。

 

責任者がいないとみんなやりたい放題!

 

言い換えれば上司とアルバイターの、仕事に対する価値観が違うとも表現できます。

 

合わせて読みたい

上司は一企業で立派に勤め上げる意思があろうとも、所詮アルバイターにとっては大した意識もなく、ただ必要な生活費を稼ぐ一手段という認識だからです。

責任感、使命感、正義感

 

責任感にはいくつか類語が存在します。まずは「使命感」です。

 

使命とは与えられた任務や命令のことであり、使命感はその任務に対する熱意と表現することができます。

 

  • 頼まれたことはやり遂げなければいけない
  • プロとしてこの程度での仕上がりは許せない

 

熱意があることは非常に良いことですが、過剰なプライドで自分を追い込んでしまう可能性もあるので思い込みには注意が必要です。

 

次に「正義感」は、個人の善悪に対する認識や真面目さと表現できます。

 

  • どんなに追い込まれても不正は許せない
  • 善悪は関係なく、嘘をつくことができない

 

こちらも人としての道徳心は大変素晴らしいとは思いますが、正義感が強すぎると頭が固く、柔軟な発想ができずに自分を追い込んでしまう可能性があります。

 

そして、この二つが責任感に強く影響しています。

 

責任は必ず必要なものとしても、過剰なプライドと頭の固さの合計値がそのまま責任に対する意識、「責任感」に上乗せされてしまいます。

 

もっと適当でもいいんだぞ?

 

 責任を負う?担う?

 

責任に対しての述語は「負う」「担う」が一般的です。

両方とも意味は責任をとっていることに変わりなく、二つの違いは責任者の人数です。

 

  • 父親が責任を負う
  • 両親が責任を担う

 

「負う」は個人的な責任、「担う」は連帯責任とも表現できますね。

 

ポイント

言葉の意味と正しい述語をチェック!

責任を背負う

 背負う

時おり、責任を「背負って」しまう人がいます。

これはまさしく、使命感や正義感の強すぎる人の典型ですね。

 

「負った」傷のほとんどは時間をかければ癒えますし、「担った」負担も作業を終えれば元通り解決します。

 

しかし、「責任を下ろす」という表現はしませんよね?

 

これはつまり、背負ってしまったものは積み重なっていく一方であり、自分自身で休息を許さないほどに追い込んでしまっている状態ということになります。

 

背中に背負うものがあっては自分自身も重くなってしまい、「悩み」という泥沼に沈み続けて這い上がることができません。

 

責任は負ったり担うものであって、背負ってしまうことは言葉の意味としても心理的にも不適当です。

無責任な言葉

 

責任は立場上だけではなく、「言葉」に対しても宿ります。

 

人に悪口を言ったり、悪意のある嘘をつくということは相手や周囲の人間からの信用を失う行為です。

 

それによって、相手がどのような感情を抱くかは状況によって分かりませんが、自分が逆の立場でも文句を言えないことは確かです。

 

悪口言われた・・・言い返してやる!

 

自分の言葉には責任を持たなくてはならないからですね。

無責任なことは言わない

 

意図した悪口や嘘はともかく、自分の発言に対して意識が少なすぎる人もいます。

嘘をついたつもりではなくとも、結果的には嘘という場合もあります。

 

夕飯どうする?何でもいいよ!

 

じゃあステーキ。

 

それお昼に食べたから他ので!

 

「何でもいい」という発言に対し「何でもよくなかった」結果は、相手にとっては言い忘れていただけかもしれませんが、自分にとっては嘘をつかれたようなものです。

 

本来ならば「何でも」という発言の責任を取って、文句など言ってはいけません。

質問する側の発言に対する意識、責任がなさすぎるパターンですね。

 

仲の良い友達同士なら問題ないかもしれませんが、初対面や数回会った程度の間柄でこのようなやり取りをしてしまうと、その後の信用を築くのは難しいかもしれません。

 

(こいつ適当なことしか言わねぇな)

 

これを防ぐには

 

  • 言葉の意味をしっかりと考えてから発言する
  • 感情的な発言は相手の気持ちを害する可能性がある

 

この二つをしっかりと把握しておく必要があります。

まとめ 

 

責任感があるということは見習わなければならない立派なことです。

使命感、正義感もまた、信用を得ることができる素晴らしい感情です。

 

しかし、責任を背負ってしまうと重さに負けて自分の負担になってしまいます。

 

他人はそれほどの責任を自分に求めていないかもしれません。

 

一切の無責任では困りますが、自己満足の使命感や正義感にかられることのないよう、少しだけ無責任に生きてみてもいいのかもしれません。

 

気楽にいこうよ!ありがとうございました!

 

うしごやよろしく!

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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