うしごや ~さとり男子の考察牧場~

接客業での人間関係に揉まれながら、うつ病の家族を反面教師に「上手に生きる術」と「うつにならない考え方」をお伝えしていきます!

おもちゃにとっての幸せとは?賛否両論【トイ・ストーリー4】4DX3D版レビュー!

トイ・ストーリー4

 出典:https://eiga.com/movie/81349/gallery/

 

こんばんは、小さなころから大切にしていたぬいぐるみを今でもベッドの傍らに置いているうしぞうです!

 

今回は7月12日公開「トイ・ストーリー4」の4DX3D版でのレビューです。

実はこちら先行試写会で公開された際の感想が、記事タイトル通りの賛否両論でした。

 

あなたはまだ本当の「トイ・ストーリー」を知らない。

 

これが今作のキャッチコピーです。中々強気な一文ですよね。

非難の主な理由は、シリーズを通して共通だったある設定がブレてしまったからです。

 

結末をどう捉えるかが評価の大きな分かれ道となりますが、昔からおもちゃが大好きだったうしぞう的には・・・?

 

 

あらすじ

 

アンディからボニーへと渡ったバズ・ライトイヤーらおもちゃたちは、相変わらず楽しい毎日を過ごしていたが、ウッディは遊ばれる頻度が少なくなり悲しさを覚えていた。

 

ボニーは内気で、幼稚園に馴染むことができなかったが、それを見かねたウッディの助けもあって手作りおもちゃフォーキーを工作する。

 

フォーキーを気に入って明るくなるボニーだったが、フォーキーには自分がおもちゃである認識がなく、自身をただの「ゴミ」だと思っていた。

 

おもちゃの自覚がなかったフォーキーはボニーの元から逃げ出してしまい、ウッディは彼の跡を追うこととなる。

 

しかしその先で、離ればなれになっていたかつての恋人ボー・ピープと再会してしまい・・・?

 

各ナンバリングの流れ

 

皆さんご存知であろうトイ・ストーリーシリーズの第一作は1995年に公開されました。

続編である「2」を経て、「トイ・ストーリー3」の公開は2010年です。

 

ピクサーの長編作品としては20年以上の歴史をもったビッグタイトルですね。

 

自分の意思があり、自由に動くこともできるおもちゃたちが、様々なトラブルに巻き込まれながらも彼らの小さな目線で奮闘していくアドベンチャー作品です。

 

作品の主人公はカウボーイ人形のウッディですが、バズやジェシーなど魅力的なおもちゃの仲間たちが多数存在し、持ち主はアンディ・デイビスという少年でした。

 

シリーズのナンバリングと時間経過はリンクしており、1では少年だったアンディも、3では大学生の青年となっています。

 

そして大人になったアンディは3の終盤で、ウッディら自分のおもちゃたちをボニー・アンダーソンという少女へ譲り渡します。

 

ポイント

トイ・ストーリーシリーズは既に完結と言える結末を迎えていた。

 

うしぞう評価

 

で?面白かったの?

 

まず、4はトイ・ストーリーシリーズとしての作品の仕上がりは歴代と比べてもそん色なく、子供から大人まで楽しめる冒険活劇でした。

 

今作を評価付ける際のポイントは

 

  • 4の結末だけを評価するか、それとも4をトイ・ストーリーシリーズ全体の結末として考えるか
  • トイ・ストーリーシリーズに求めているものは何か、この物語は誰目線のストーリーなのか

 

これらが主軸となります。

そして今回は4DX3D版での視聴でしたが、それについては文句なしの満点です!

 

元々、おもちゃの世界という小さなスケールで人間にとっては些細な動きであっても、彼らにとってはたとえ道路を渡るだけにしても相当なアクションです。

 

映画館のスクリーンで、おもちゃたちと同じ目線で繰り広げられる世界と4DXの動きは、まるで私たちがおもちゃになったかのようなリアルさがありました。

 

作品評価: 
4DX評価: 

 

さて、賛否両論されている「否」の部分を私の独断と偏見で徹底的に否定していきます(笑)

 

素直に面白かったって言えよ。

 

それではネタバレありの感想&考察です!ご注意ください!

 

おもちゃにとっての幸せとは?

遊園地

本来、おもちゃが「おもちゃ」として幸せを感じるのは、当然持ち主に遊んでもらっているときです。

 

自分を買ってくれた、または買い与えられたり譲り受けていたとしても、自分に愛着を持って楽しく遊んでくれる。

 

これこそがおもちゃの存在意義であり、意思のあるおもちゃの生きがいとも言えます。

しかし、もしもおもちゃとして大切にされなかったら?

 

子供に壊されたりなくされたりして、おもちゃとしての存在意義を失ってしまったら?

 

おもちゃにとって幸せを感じることが不可能になってしまい、それはもう悲しいことにゴミ同然とも言えます。

 

必要なおもちゃ、必要のないおもちゃ

 

ボニーは手作りおもちゃのフォーキーを作成しますが、彼の材料はゴミ箱からすくわれた先割れスプーンやモールなどのゴミです。

 

そのせいでフォーキーは、自身を「ゴミ」と認識していて中々おもちゃの気持ちになることができませんでした。

 

しかし、フォーキーのおかげでボニーには笑顔が戻ります

 

「おもちゃ」の定義自体が曖昧ですが、少なくともボニーにとってはゴミから作られていようとも、フォーキーは自分を笑顔にして楽しませてくれる存在のおもちゃです。

 

つまりフォーキーは、必要とされないゴミから作られた、必要なおもちゃです。

 

対照的に、女の子であるボニーにとって少年心をくすぐるようなカウボーイ人形のウッディはあまり魅力的ではありません。

 

ウッディ自身は年代物で価値のあるおもちゃなのですが、それはボニーの笑顔にとっては全く関係ありません。

 

それによって残念ですがウッディは、必要とされるおもちゃであるはずが、ボニーにとっては不要なゴミ同然となってしまいます。

 

子供によっておもちゃの価値は違うよね・・・

 

持ち主への執着

 

ウッディはとにかく、自分の持ち主に対して忠実なおもちゃであろうとしています。

 

自分の存在意義は持ち主を笑顔にするためと自負しているからこそ、自分の身を削ってまで逃げ出したフォーキーを追いました。

 

埃をかぶろうが踏みつけられようが自分の扱いなどもうどうでもよく、持ち主であるボニーのために必要とされるフォーキーを探します。

 

ウッディはボニーのために行動をしていて、実際にボニーの笑顔には繋がるのですが、本当は自分自身の存在意義を見つけるため、自分のための行動とも言えます。

 

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しかし、持ち主のためにここまで自己犠牲の精神を貫けるのは、ウッディ自身が元の持ち主であるアンディに特別扱いされていたからです。

 

自分を好きでいてくれる人の期待に応えようとする気持ちは当然のことですよね。

 

もしもウッディがそれほど大切にされていなかったとしたら、ここまで持ち主のために必死に頑張ろうと思う気持ちさえなかったと思います。

 

3までのウッディはおもちゃとしての責任感、使命感が非常に強く、どんなことがあっても持ち主の元へ戻り、持ち主のためのおもちゃであろうとしていました。

 

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今回の結末

 

  • かつての恋人ボーと再会した
  • 子供部屋から出て外の世界を見て回った
  • おもちゃとして必要とされなくなった

 

今作のラストではこの三つの理由を起点としてウッディは、今までの持ち主に尽くすという生き方を改め、自分自身のために外の世界で自由に生きる選択をしました。

 

これこそがシリーズファンから非難される大きな原因となっていますね。

 

3で綺麗に完結したシリーズへ、ウッディの軸をブレさせてまで無理やり4を付け足した。

 

ような印象を受けた方も多かったようです。

 

しかし個人的には、おもちゃにとっての幸せを願うのならば「トイ・ストーリー4」という作品を認めざるを得ません

 

この物語はウッディのもの

 

トイ・ストーリー1と2は、まだ少年時代のアンディの元で巻き起こる小さな事件を、おもちゃたちが協力して解決していく純粋なアニメーション映画といった印象です。

 

実はおもちゃには意思があり、見えないところでのおもちゃたちの活躍を描く「トイ・ストーリー」ならばこの二つで十分なのです。

 

3では持ち主であるアンディの成長を描いてしまったため、必然的におもちゃたちの話というよりはアンディの話となってしまいました。

 

そしておもちゃの持ち主であるアンディが成長し、別の子供におもちゃを譲ってしまうまでを三作品としたアンディのストーリーは綺麗に終わりました。

 

しかしそれでも、物語の主人公であるウッディ自身のストーリーには終わりがありません

 

3では持ち主が大人になれば、おもちゃは次の世代へと受け継がれるという結末でしたが、そこに終わりはありません

 

視聴者の想像に任せるという手もありましたが、それならば「いつまでもアンディ少年の元で楽しく暮らすおもちゃたち」として2までで締めくくっていればよく、アンディの成長を描いた3が必要なくなってしまいます。

 

また、ウッディにここまで人間らしい心を与えてしまったことに対しての責任が取れていません

 

持ち主が満足していようとも見ている側からすると、人間らしいのに常に仕える存在がいて、不自由に囚われているウッディにはいささか違和感がありました。

 

3を作ってしまった以上、4でウッディ自身の終わりを描かなければシリーズとしては未完のままだったと思います。

 

ウッディだけが不憫だもんな。

 

形あるものはいつか壊れる

 

こうして「持ち主」や「子供部屋」という狭い世界から抜け出し、外の世界での自由を手に入れたウッディでした。

 

そのおかげで、ウッディとしての物語の終わりも明確になりました。

しかし中盤、陶器製であるボーの腕が折れてしまうという事故が発生します。

 

折れると言っても人間とは違い陶器であるため、半ば切断されたようなものです。

これは、ウッディ自身や他のおもちゃたちの明確な終わりも表しています。

 

どんなに感情豊かで人間に近いおもちゃだったとしても、所詮はおもちゃです。

いつかは必ず劣化し、壊れ、「ゴミ」となってしまいます。

 

人間にだっていつかは必ず「死」が訪れます。

それまで自由に人生を謳歌しようとする気持ちは、決して間違っていないと思います。

 

これこそが、あまりに人間らしく描いてしまったウッディへとった、製作者側の責任だったのだと思います。

 

そしてボー自身は、自分の腕が取れようと全く動じずテープで修復しました(笑)

 

自分がいつかは壊れる(死ぬ)存在だということを自覚したうえで、精一杯自由を楽しむ、まるで一人の人間の女性のようでしたね。

 

外の世界という危険な舞台に飛び出した結末であるため、さらなる続編を作ることも案は出せそうですが、おもちゃとしての最期を迎えることも示唆されていました。

 

まとめ

おもちゃ

「トイ・ストーリー」は1と2で、「アンディのストーリー」は3までです。

 

そして今作、「トイ・ストーリー4」はウッディ自身の物語を終えるためには必要不可欠だったと思います。

 

確かに4だけを今までのシリーズと比較してしまうと違和感はありました。

しかし全てのシリーズの繋がりを考慮すると・・・この結末には涙します。

 

そもそも現代の子供たちにはゲームやスマホなどが充実しており、フィギュアや人形などの「おもちゃ」で遊ぶという機会が少ないです。

 

今回の舞台もアンティークショップであり、悲しい現実ですが現代においてのおもちゃに対する需要を考えると、自然と納得してしまう物語でもありました。

 

必要とされないのだったらもう人のためでなく、自分のためにボーと二人で余生を謳歌してほしい。

 

これがおもちゃで遊ぶことが大好きだった私なりの答えです(^^)

実際に、今の私はもうおもちゃを必要としていません・・・

 

トイ・ストーリーシリーズとして、童心を取り戻せる素晴らしい物語の結末としては最高だったと思います!

 

最後はウッディが楽しむ番!ありがとうございました!

 

うしごやよろしく!